恐怖と強欲

 以前、よくvoicyでサウザーラジオを聞いていた。現在は実業が忙しいためラジオ更新は頻繁には行っていない様子。今日、サウザーさんが以前言っていた『恐怖と強欲』という言葉を思い出した。

 『恐怖と強欲』とは抽象的な概念ではあるが、私は『正常な判断ができない状態』であると思う。例えば、ブラックな勤め人はご飯を食べるため、家族を養うために長時間労働を強いられている。生活ができなくなるという『恐怖』に怯え、給料という報酬『強欲』に手を出す。生活費を稼ぐためには、自分の意に反した行動であっても我慢しなければならない。

 『恐怖と強欲』に対して反対となる概念が『知恵と勇気』である。会社の意に背いたとして給料が無くなるもしくは減ったとしても、創意工夫で生活費を作り出す。それは節約など支出の見直しかもしれない、副業かもしれない。

 『恐怖と強欲』に縛られていると会社=人生のように縛られた生き方となる。本当にそんな人生でいいのか。嫌だと思ってもお金が無いし、会社にしがみつくしかない。私は勤め人を否定はしない。あくまで、自分と会社は対等であるべきだと思っている。嫌なことにはNOと言いたい。やりたいことをやりたい。『知恵と勇気』があれば、会社の給料がなくてもなんとかなるという安心感から会社に依存した状態から脱することができる。

 私にとって『知恵と勇気』は不動産事業であった。会社の給料額以上の収入はある。自分の人生にとって最良な選択はなにか。恐怖と強欲に縛られることなく考えることができる。

 しかし、最近は本業ではないところで『恐怖と強欲』を感じる場面があった。それは物件を買う時にただ物件が欲しいという気持ちが強くなり、対して価値のない物件の取得に動いてしまったこと。転職前にCFを増やしたいという気持ちで、欲しい病になっていたのだろう。それは、今の物件だけでは将来どうなるか分からない(=恐怖)、なんとなくCF100万以上は欲しい(=強欲)があった。今の市況では明らかに物件価格は高い。今が買い時でないことは明らか。

 将来どうなるか分からない→例え物件を増やしたとしても同じ恐怖はある。

 なんとなくCF100万以上→根拠は?そもそもの不動産事業の目的は本業でリスクをとるための担保として。生活費以上を稼いでいるわけで、今でも十分。

 勿論、条件の良い物件があれば購入したい。自分の基準を忘れず、冷静に。ゆっくりだとしても確実な歩みを続けたい。